代表挨拶

こんにちは、鈴木総合治療院の鈴木敏文です。

私は鍼灸師として、平成2年に開業しました。
開業当初から、悪くなってそれを治療するという鍼灸院にする気はなく、今のように
目的ややりたい事がハッキリしていました。
どんな事をしたかったか?これを説明するには、幼少の頃の状態を話さないといけま
せん。

私は子供のころ健康状態が悪く、毎日のように病院に通っていました。皆さんのご家
庭にも保険証があるかと思います。保険証には通院記録の覧がありますが、うちの保
険証は「敏文 敏文」と、私の名前ばかりがズラーッと記入されていたのです。

まず、最も苦しめられたのが慢性鼻炎で、頻繁に蓄膿症になっていました。手術の
提案はしょっちゅうでした。

血圧は低く70-30、体温も低く35、5℃が平熱でした。倦怠感が常にあり体が重
だるくて、元気な友達とか見ると、根性で頑張っているのかなあと思うほど、元気な
人の状態が信じられませんでした。元気な体調というものがあり得るとは、想像もで
きませんでした。

慢性の頭痛もあって、その当時、ドラマなどで子供が脳腫瘍になって、幼いうちに
亡くなるというストーリーがあったりして、自分も長生きできないかなという不安に
かられていました。

そういうことから、医学的なものに興味を持ち、家にあった家庭の医学を読みふけ
りました。基礎医学編と臨床医学編の2冊で各5センチくらいのものが、五才の頃か
らの愛読書でした。小学生になるとノートを取って勉強し始め、鍼灸師の免許をとっ
たときの解剖生理の知識は、実際、5~6歳の頃に覚えた知識です。

別に天才とかいう事でなく、虫の好きな子や電車が好きな子や、自動車が好きな子
などと同じようなもので、私はそういう経緯もあり医学的な知識だったのです。

それで、現代医学では自分のかかえている問題を解決できなかったので、小学校の
半ばくらいから東洋医学的な方に関心が向き始め、それでいろんな治療法や健康法、
民間療法を調べはじめました。

十代の期間は学校の勉強はそっちのけで、健康法、治療法を実践し研究し、おそら
く23~4歳のころには世の中に存在している健康法とか治療法とか民間療法は全部知
っていると自負するほど調べ尽くしました。もちろん全てをマスターしたということ
でなく、聞きかじりというかどのような理論で、どんな技術かという概要を調べたと
いう事です。

そうやって勉強していた中で、私自身を満足させるものを探し続けました。

その経験の中で病気というのは食の歪み、体の歪み、心の歪みから起こるという結
論になり、それを正す事で、どんな病気でも対処できるという結論に至ったのです。

鍼灸の学校を卒業し鍼灸の免許を取ったときには、ある程度自分がやりたい形が決
まっていました。

この段階で自分自身の健康の問題はほぼ解消していました。子供の頃から考えると
想像できないほど元気になり、血圧も体温の低いのも良くなり、ときおり、健康をく
ずしても自分でお金もかけずに治せるようになりました。自分自身の体験や他の人の
事例などから、生活習慣を正せばどんな病気も治るという確信が持てるようになって
いました。

職業にするつもりで、勉強した事は一度もありませんでした。自分のためだけに学
んできました。自分自身、健康に対する不快も今後の不安も全くないのは個人的には
かなり快適なのですが、今度は、この知識がないがために苦しんでいる人を目にする
のが苦痛になってきました。他人の状態に自分を当てはめると、何も悩む事もなく改
善できるし、具体的な方法も簡単なのに、知識がないがために苦しんでいる人たちを
見ているのが苦しみになってしまいました。

そのような人達に伝えたいと考えるようになって、職業として鈴木総合治療院を開
業するようになりました。

勉強するときには、職業にする気はなかったので、体系や理論、結果に対して私が
一番妥協できないのです。